町田康「しらふで生きる」

前の記事を書いてから、ずいぶん長い時間がたってしまった。その間に年をとり、2回引っ越し、ちゃんとした仕事を見つけた。

仕事が欲しくてたまらなかった時期は、のんきに本や映画の感想を書く気になれなかった。他人に評価してもらえないことにいら立ち、お酒を飲んではため息をついていた。やがて怒りを感じなくなり、ただむなしくなった。もうどうでもいいと言いながら、それでも自分に期待するのをやめられないことが苦しかった。

その後、周りの助けがあって、なんとか仕事にありつけたが、以前のような前向きな気持ちにはなれず、ぼーっと怠けた暮らしをつづけている。あれほど欲しかった仕事なのに、それに打ち込む意欲が出てこない。でも、最近は少しずつでいいから自分を変えたいと思っている。このまま生きていくのは、あまりに退屈だから。久しぶりに記事を書くことから始めよう。昔の自分に戻れないとしても、今の自分を変えるきっかけにはなるかもしれない。

不安定な暮らしの中で、いつも自分のそばにあったのがお酒である。楽しいときは気分を盛り上げ、苦しいときは愚痴に付き合ってくれた。無気力なときは、退屈な日常を忘れさせてくれた。お酒のおかげで、何とかやってこれた気がする。

 

町田さんは、こんなにすてきなお酒をやめたらしい。音楽と小説でパンクを実践してきた町田さんが!しらふでパンクがやれるのかと毒づきながら、暇つぶしで本を読み始めた。

町田さんが断酒したのは、お酒を飲んでいないときの苦しみが大きいからである。お酒は飲めば飲むほど、しらふでいることがつらくなる。酒飲みは、酔っていたときの言動を思い出して後悔するし、しらふでいると不安になってまた酒を飲む。すると、翌日また後悔して不安になって酒を飲む。終わりなき悪循環である。そもそも、お酒は楽しむために飲むというが、酔っぱらうと脳の働きがにぶって、本当に楽しいのか分からないはずである。

とはいえ、頭で納得しても実際にお酒をやめるのは難しい。日常生活は不安や不満を感じることが多く、酒を飲みたくなるからである。町田さんはここに注目して、飲酒の原因である不安や不満を感じない方法を見つけたらしい。それは自己認識の改造である。自分が普通よりあほであると認めると、人生が少しぐらいうまくいってなくても、自分があほだから仕方がないとあきらめがつく。さらに、他人と自分を比べないようにすれば、誰かよりお金を持っていないなどと悩まなくなる。つまり、謙虚になって周りを気にしなければ、不安や不満を感じないのである。

 

町田さんの主張は、お酒だけでなく仕事や人付き合いにも当てはまりそうである。自分を賢いと思う人は、やりがいのある仕事で高い給料をもらい、みんなから尊敬されて当たり前。自分にふさわしくない仕事や低い給料には不満を感じるし、周りから大切にされなければ腹が立つだろう。他人と自分を比べる限り、どこまでいっても上はいるので、不満だらけの人生になってしまう。

ここ5年ぐらいの自分を思い出すと、まさに不満だらけだった。なんで仕事がないんだ、なんで周りはもっと評価してくれないんだ、なんで何をやっても楽しくないんだ、なんで、なんで、なんでと自分を認めてくれない他人や社会のせいにしていた。本当は、傲慢で周りを気にしてばかりの自分に問題があったのに。ブログの記事を書いていた頃は、少なくとも自分が無知であることを受け入れて学ぼうとしていた。他人と比べるむなしさを感じて、自分が少し前の自分よりどう変わったかを見ようとしていた。

今の自分は酔っぱらっている。自分を賢いと思って、他者をうらやみ、不安と不満だらけで酒を飲みたくてたまらない。実際に、しょっちゅう飲んでいる。まずは自分が自分に酔っていることを、自己陶酔を認めなければならない。でも、酔っぱらいはまだ酔っていないと言いたくてたまらない。酔っぱらいとしらふの自分がけんかしている。

しらふで生きるのはつらいが、人生とはそもそもつらいものであると町田さんは書いている。