映画「やわらかい生活」

総合職としてばりばり働いていたが、友人と親の死をきっかけに心の病にかかった優子は蒲田で新生活を始める。

そこで出会う人々は形は違えどそれぞれ苦しみを抱えて生きている。まっとうな社会人でありがらも、合意の上で痴漢をさせてくれる女性を求めつづける中年男性。インポテンツで好きな女と交わることさえできない政治家。夫そして父親としての役割になじめず家出をしてきた従兄。ピュアな性格とヤクザの仕事で板挟みになっている、鬱病持ちの若者。

躁鬱病で入院して以来、すべての同僚と友達を失った優子は、中年男性と痴漢プレーをすることで、その寂しさを紛らわしていた。だが、男には男の家庭があり、どこまで行っても痴漢行為以上のものは共有できない。また、自分のホームページを通じて知り合いになったヤクザとも鬱病トークぐらいでしか盛り上がれない。そんな中、ふとした拍子に学生時代の友達であった政治家と再会する。昔話に花がさいた二人は、当時から多少は意識し合っていたこともあってベッドをともにする。けれども、政治家のインポテンツはいかんともしがたく、ぎくしゃくした関係になってしまう。そして、家出をした従兄が優子のもとに転がり込んでくる。彼との気楽な共同生活は彼女の孤独を取り去ってくれるように見えたが、そんな日常に躁鬱病が影を落とす。従兄は優子の症状に振り回されて一度はうんざりするものの、彼女を理解しようという姿勢は崩さず、二人の距離は徐々に縮まっていく。でも、彼は優子と向き合いながら誰かと暮らす苦しさと喜びを知り、自分の家族とやり直すために故郷へと帰ってしまう。

優子だけでなく、彼女が出会った人すべてが他のひとに理解してもらえない苦悩を抱えながら、それを誰かと少しでも分かち合いたいと願っている。優子が好きな人と普通の生活を送りたいと望んでいるように、彼らの願いは本当にささいなものである。しかし、それさえも叶わない現実が横たわっている。

つながりたいけど、つながれない現代人の悩みが丹念に描かれており、僕の心を締め付ける。では、救いは全くないのかといえば、そうではないだろう。優子はほんのひととき、ほんの一部分ではあったが、彼らとともに何かを共有することができた。完全な形でないにせよ、こうした緩やかなつながりを広げていけば、人は何とかやっていけるのではないか。「やわらかい生活」は苦しみと同時に一縷の希望を我々に見せてくれている。