映画「奇跡」

世界はありふれた奇跡で溢れている。

母と父の別居をきっかけに離れ離れになった兄弟の物語。鹿児島の母と兄、福岡の父と弟。二人は遠く離れながらも、新生活に少しずつなじみ、新しい友達もできる。

弟は父譲りの楽観主義でそれなりに新しい環境を楽しむが、兄は家族一緒に再び暮らせることを願い続けている。

福岡と鹿児島を結ぶ新幹線「さくら」がはじめてすれ違うとき、願いを叫べばそれが叶う。そのような噂を聞きつけた兄は友達と弟を誘って、奇跡を起こそうとする。

桜島が噴火すれば鹿児島で暮らせなくなって家族で一緒に暮らせるだろうと思い、桜島の噴火を兄は願うことにする。

でも、結局のところ、兄はその願いを叫ばなかった。何も叫ばなかった。鹿児島に暮らすようになってから知り合った人々、ともに暮らす祖父母のことを思うと、自分勝手なお願いをできなかったのである。彼は弟に言う。「世界のことを考えちゃった」と。

実は弟も別のお願いをしていた。一緒に暮らす父の夢が叶いますようにと。

兄弟ふたりとも、自分のことではなく、他者を思いやったのである。これは社会とつながり始めた兄弟の成長の物語である。とりわけ、兄は家族といった身近な人だけでなく、それ以外の人の幸せにまで思いを馳せている。この成長こそが奇跡であったのではあるまいか。

奇跡は兄弟だけに起きたのではない。彼らの友達も願いを考えるプロセスで、ペットの死を受け入れたり、夢にチャレンジすることを決心したりと成長していった。また、旅の途中で知り合った老夫婦にも奇跡は起こった。孫のような彼らと幸せなひとときを過ごすことができたからである。

奇跡はそれを奇跡と認めてはじめて奇跡になる。われわれは普段ほとんど気付くことはないが、他者を思いやるという奇跡はそこかしこで起きている。
ただ、気付いていないだけで。
そんな小さな奇跡を大事にしていけたらなと、柄にもなく少しだけ思った。